2022.07.28
近頃、ゲリラ豪雨が各地で問題になっていますね。
梅雨が明けたはずなのに、夏空が恋しくなります。
そんなことを言っていても、いざ暑くなると、雨でもいいから
涼しいほうがいいなどと思ってしまう自分がいます。
全く自分勝手ですよね。
先週に稲の穂の写真をアップしましたが、1週間たつと、
田んぼ一面に、稲の穂が出てきました。
一週間経つと、稲の状況が変わっていきます。
作物も生きていますね。
生命の力を感じます。
先日柿畑に行ったのですが、我が社の
四つ溝柿も大きくなっていました。
柿も大きくなりましたが、
その下の下草も大きくなっていました。
ついこの間草刈りをしたばかりだと思っていましたが、
稲穂のように、畑では、草たちがどんどん大きくなっていました。
早く苺の苗挿しを終えて、柿の手入れをしたいところです。
柿畑の近くに、真っ赤に咲くお花を見つけたので、
ついつい写真を撮ってしまいました。
若い時には花などには興味がありませんでしたが、
歳のせいでしょうか、最近花を見ると心が癒される
ようになりました。
散歩のときなど気にしてあたりを見ていると、
結構色んな花が咲いていることに気付きます。
どの花も一生懸命に咲いています。
私も自分の花を咲かせるように日々努力していこうと思います。
久しぶりにスマップの
「世界に1つだけの花」
を聞きたくなりました。
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私は、静岡経営塾という経営者が集まる会で、毎月一回の勉強会に参加しています。
経営コンサルタントの杉井保之さんのもと、勉強していることをこの場を借りて、
書かせていただきます。本の感想文であったり、日々の生活の中で、感じたことや、
自分の幸せなどについて、書かせていただきます。
お付き合い宜しくお願いします。
我が家の台所の柱には、古いゼンマイ式の柱時計が掛けられているのですが、
その時計がゼンマイを巻いても少し動くだけで、止まってしまうようになってしまいました。
その時計は、今の家を建て替える前の古い家の頃から使っていて、
私が物心ついたときには、“旧家”の人が集まる1番目立つ所で、時を刻んでいました。
止まってしまったのをきっかけに父親に何年前からこの時計が使われていたか聞いたところ、
父親の3人目の弟(自分のおじさん)がうまれた時に買ったものだと聞きました。
おじさんの年は、今年で68歳になります。という事は、時計も68歳です。
68年もの間、佐野家に時間を知らせてくれていたと思うと、時計に感謝の気持ちが出てきました。
佐野家の歴史と共にこの時計がある。曾祖父母、祖父母、父母、私、子供達と、この時計は、
5世代を見ているのだと思い、何とかして動くようにならないかな?と思うようになりました。
今では、時計は、高価ではなくホームセンターでも安く買えるのですが、金額ではない価値を感じ、修理する事にしました。
今でも時計の修理をしてくれる所があるのか心配でした。まして、68年も前の時計です。
修理するより勝った方が安い時代です。部品もあるか解りません。
私は、以前農協をやめてれっどぱーるを始める時に腕時計を買った時計屋さんに行ってみました。
その時計屋さんは、1代で時計屋を築き上げて、当時の自分に沢山の勇気を与えてくれた思い出の時計屋さんでした。
夕方お店に行ってみるとお店は閉まっていて、
(もしかしたら今のご時世なので、閉店してしまったのかな)
と思いましたが、もしかしたら定休日かもしれないと思って、次の日に行ってみる事にしました。
暗くなり始めた夕方に行ってみると営業していました。
変な事を考えた自分が恥ずかしくなりましたが、古い時計を抱えて入店しました。
店に入ると、店内は当時と変わらない雰囲気で、経営するご夫婦も少しお年を取られた感じはしたものの、元気そうでした。
私の事も覚えていてくれ、お土産に持って行った苺を大変喜んでくれました。
私:「この時計治りますか。」
時計屋さん:「開けてみないと解らないね。」
私:・・・・・。
時計屋さん:「どうしますか?」
と聞かれましたが、思い出の一杯詰まった時計です。お金には代えられないと思い修理できるのでしたらと修理をお願いしました。
断られる事もなかったので、きっと治るのだろうなと思い、お店を後にしました。
家につくと柱時計の代わりに普通の電池式の壁掛け時計が掛けてありましたが、何となく不自然でした。
2~3日で柱時計も治ると思っていましたが、時計屋さんからの連絡はありませんでした。
1週間くらいして、(時計は、治らないかな?)と思い始めていた所に、お店から「時計の修理終わりましたよ。」と連絡を頂きました。
その日のうちに時計を取りに行き、時計と対面しました。ガラス部分や、金属部分を綺麗に磨いてくれてあり、
時計は生まれ変わっていました。何か解らないワクワクと感謝がこみ上げてきました。
時間がかかったのは、時計を全部ばらして、ギヤのあらゆる部分のさびを取り、洗浄してくれたから時間がかかってしまったようでした。
お店のご夫婦に「ありがとうございました」と頭を下げて、帰宅しました。
柱時計をもとの場所に取りつけ、振り子を動かしました。
「カチカチ」と動き始め、時計は、また佐野家で時を刻み始めました。
子供達も「やっぱりこの時計じゃないと変。」と言って時計が帰ってきたのを喜んでいました。
動き出した時計を見て、何とも言えない思いがこみ上げてきました。
5世代にわたる柱時計。佐野家の色んな時を見てきたと思います。
言葉が喋れたら何て言うのかな?などと、訳の解らない事を考えましたが、
これからもこの時計と一緒に佐野家の歴史を作っていこうと思います。
この時計もあと何年動くのか解りません。
私の人生もあと何年か解りません。
時計と共に動く(生きている)時を大切にして、良い人生にしていこうと思います。
今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。