2024.11.07
このブログは日々のれっどぱーるのハウスでの作業や、イベントの様子や、
私の感じたことや、経営について勉強したことなどを毎週木曜日に
アップしています。これからもよろしくお願いします。
2024.11.7
昨日富士山を見たら、白くなっていました。
初冠雪したようです。
暑かった夏が過ぎ、これから寒い冬になります。
富士山も真っ白になることでしょう。
皆さんは、暑い夏と、寒い冬のどちらがいいでしょうか?
私はどちらかと言えば、暑いほうがいいですね。
ハウスの中は11月と言っても最高温度が30℃近くまで上がります。
ハウスの中は冬でも春の気温を作り出すようにしています。
その気温のお陰か、やっと苺の花が咲き始めました。
いよいよスタートだという感じです。
あと一週間すると結構の花が咲くと思います。
苺の白い花を見ると今までの苦労を忘れます。
そのくらいに私は苺の花が咲き始める今がとても好きです。
今作も沢山の皆様に喜んでいただける苺になるように、まだまだ努力を続けて行きます。
「輪島市門前の炊き出し! 1 」
昨日のブログの続きになりますが、10月23日に移動販売車の打ち合わせを終え、
24日は2つ目の目的でもある輪島市の門前での炊き出しに参加してきました。
こちらの炊き出しは、移動販売の製作をお願いしている(株)ゼックの永井社長のお知り合いが行っていて、
永井社長も定期的にお手伝いに行っており、今回協力させていただくことになりました。
災害の炊き出しに行こうと思ったきっかけですが、新年早々の被災地の映像を見て、
(いつかは何かの形で災害に合われた方々に喜んでもらえることをしたい)と思っていました。
そうは思っていたものの、石川県は遠いです。どうしようかと思っていた時に、静岡経営塾で石川県の七尾に行くことになり、
自分もこれで少しは人の役に立てるかもしれないと思い参加させていただきました。
参加させていただき実際に現地で見た光景は思っていた以上に酷かったです。
その時に苺のスムージーを無料配布したのですが、沢山の方に喜んでもらえました。
それから何か月かして、移動販売車の1号車の故障や、部品の問題から移動販売車の4号車を作ることになりました。
そして9月21日の石川豪雨災害が起きました。
再び石川県が災害に遭ってしまい、あのテレビの映像も酷いものでした。
私はあの映像を見て、再び、私も何か出来ないかと考えるようになりました。
私が皆さんから喜んでもらえることと言えばスムージーの無料配布です。
経営塾で七尾に行った時のようなことをやれないかと考えるようになりました。
私には製作途中の4号車がありました。移動販売車を作る時は必ず一度は石川県に行って打ち合わせを行っています。
今回もいつかは打ち合わせに行こうと思っていたのですが、このタイミングで何かやれることはないかと考えて、
永井社長に相談してみたところ、社長自らが炊き出しのお手伝いに行っているという事だったので、
4号車の打ち合わせを兼ねて炊き出しに御一緒させていただくことにしました。
金沢から輪島まで2時間石川県と一言で言っても広いです。
経営塾の仲間でもあった笠間さんの住む内灘を超えて「のと里山街道」をひたすら北上していきます。
途中に車のまま、砂浜を走ることが可能な「千里浜渚ドライブウェイ」を通り過ぎていきました。
記念に1号車で砂浜を走ってみようと思ったのですが、その日は波が高く通行止めになっていたので断念しました。
日本海を眺めながらひたすら北上していきます。
周りの景色は綺麗の一言で、地震の影響もあるのかないのかわからないほどでした。
1時間ほど、海沿いの「のと里山街道」を走ったら西山ICを降りて、ひたすら山道のくねくね道を北上していきました。
ところどころに家の瓦が崩れていたり、ブルーシートが欠けられているお家を見るようになってきました。
それでもまだ私たちが見た輪島市の門前よりは被害は少なかったです。
西山のICを降りてから30分ほど走り、輪島市の門前に近づくにつれて被害の様子が酷くなっていきました。
おそらく一本しかない道も至る所で復旧の工事をしていました。
山も、がけ崩れがあったらしく、山肌がえぐられていました。
道路もひびが入り、ガタガタしてきました。段々と変わっていく景色を見て私も嫁さんも口数が減り、
自然の驚異の前に言葉が見つかりませんでした。
その中でも何台もの重機が忙しく土をダンプに積んでいるのを見ましたし、
そこで作業をしている方々もたくさんいました。大型ダンプも何台もすれ違いました。
皆一生懸命に災害復興のために頑張っているんだと思うと胸が熱くなりました。
山を下っていくと集落が見えてきました。目的地でもある輪島市の門前に到着しました。
海沿いの街で、昔からの風情が漂うのどかな町でした。
建物も古い建物が多く、よく見ると、玄関に赤い紙が貼られ、
「危険!!」とか、また違う家には黄色い紙で「要注意!!」と書かれた紙が貼られていました。
中には、泥棒対策なのかはわかりませんが、玄関や、あらゆる窓の部分をブルーシートで覆っているお家もありました。
注意して見ると、10件中5件くらいは赤い紙や、黄色い紙が貼られていました。
住んでいる様子もなく、被害の大きさを感じました。
私と嫁さんは無口になり、自然と涙があふれてきました。
その集落を少し入ったところにボランティアの拠点である「INSPIRE BASE」と書かれた建物が見えてきました。
建物には絵が描かれていて、この絵もボランティアの方々が書かれたそうです。
希望を捨てないようにとSUN RISE(朝日)を描いたそうです。
この絵は田舎の町には派手過ぎましたが、ボランティアの方々のエネルギーを感じる作品でした。
お昼から食事を無料配布するという事だったので、
私達は11時半ころからスムージーを作り始めました。
すると、あちこちから人が集まり出しました。私も来てくださった皆様に声掛けをしてスムージを手渡しました。
「私たちは静岡県の富士山の麓富士宮市で苺を育てています。
今日は私たちが育てた苺を皆さんに召し上がっていただきたくてお邪魔しました。
どうぞ、紅ほっぺのスムージーをお持ち下さい。」
と大きな声で皆さんに呼びかけました。一人でも多くの方にスムージーを飲んで喜んでいただきたい一心でした。
炊き出しに来た方々は年配の女性の方が多かったです。
スムージーをもっていくときに、
「家でお爺さんが待っているからお爺さんの分も貰っていいかい?」と言ってご主人の分も一緒にもっていかれる方や、
「お隣の〇〇さんにも、持っていってあげたいから3個貰ってもいいかい?」とか、
「孫が学校から帰ってくるからその時に飲ませてあげたいから孫の分もいいかい?」などと、
そこには昭和の暖かさが残っていたように思いました。皆さん一口飲んだら「美味い!」と喜んでくれました。
中には、「静岡からこんな遠くに来てくれてありがとう。」と涙ぐんで喜んでくれる方もいましたし、
「私も商売をしていたんだけど、お店も、自宅もだめになっちゃって、両方とも壊さなければならないの。」
と悲しそうに眼を潤ませる方もいました。そんな方を見て私も涙が出てきました。
皆さん辛い思いをされていると思うのですが、笑顔で美味しかったよ!と言って喜んでくれました。
私はなんて言葉を返して良いかわかりませんでした。
頑張っている人たちに、頑張ってくださいとは言葉が出てきませんでした。
辛い思いをしていても笑顔で炊き出しの料理を持ち帰る方々を見て、励ますつもりで来たのですが、逆にエネルギーを貰いました。
炊き出しの配布も終わり、皆さんの笑顔を思い出したら、暖かな気持ちになりました。
片づけを始めようと思っていたら、ボランティアの方が私たちにも炊き出しで配った中華丼を持ってきてくれました。
ボランティアの方々は月に一回こうして炊き出しに来て、門前の方々に料理を配っているという事でした。
私は、損か得かをすぐに考える卑しい人間です。でもこのように無報酬で人のために行動する人たちを見て、自分がちっぽけに感じました。
中華丼をいただき、冷凍庫を見たらまだ苺が残っていました。
私は嫁さんと相談し、あるところに行くことを決めました。
私達は今回約300杯分のスムージーの苺を用意してきました。
冷凍庫を見たら、まだ60食分ほどの苺が残っていました。
今回の目的でもあった門前の街での炊き出しが終わった時点で目的達成でしたが、
持ってきた苺をまた富士宮まで持って帰るのも気が進まず、
あるところで苺のスムージーを配れないかと、永井さんに相談してみました。
それは、仮設住宅に住んでいる方々です。
門前に来る途中に、最近建てたばかりのような建物で、でも何か不自然でした。
よくよく観察してみると災害に合われた方々の仮設住宅でした。
私は、仮設住宅をテレビで見たことはありますが、実際に使用しているところを見るのは初めてでした。
そこには洗濯物が干されていて、生活している様子が私にもわかりました。
中には子供の服が干されていて、子供も仮設住宅で生活しているのかと思うと胸が苦しくなりました。
その思いがあったので、永井さんに仮設住宅に住んでいる方のお知り合いがいないか聞いたのですが、お知り合いはいないとのことでした。
私と嫁さんは、やってみて断られるようなら帰ればいいし、やるだけやってみようかと、仮設住宅に行くことに決めました。
私は幸いにも静岡経営塾でサバイバルの研修を受けています。
サバイバルは何かのお手伝いをして1000円いただく研修なのですが、中々お仕事をいただけません。
その研修を経験していたので、仮設住宅で声掛けをしてスムージーを配るのなら貰っていただけるのではないかと思い挑戦しました。
何件か声をかけていくうちに住んでいる方々が集まってきてくれました。
静岡の富士宮から来たことを伝えるととても喜んでくれました。
ここでも住民の方々の助け合いの行動を目にしました。
ある方が仮設住宅の一軒一軒を回り、住んでいる方々に声をかけてくれたのです。
「静岡から来てくれた苺農家さんが、スムージーを飲んでくださいってよ。」
私はてっきり皆お知り合いかと思ったのですが、入居して1か月ほどしか経っていないようでした。
こうしてお互いに声を掛け合って生活しているんだと思うと心が温かくなりました。
スムージーを手渡すと、「貰ってばかりだけど、何も持たせてあげるものがないの。」と言ってくださる方もいました。
私は「困った時はお互いさまです。今度は、いつ私達が困るようになるかわかりません。
私はこの苺のスムージーを飲んで皆さんに元気になってもらえればそれが一番のお土産です。」と言ってスムージーを手渡し続けました。
仮設住宅の中は4畳とキッチンがあるだけのようです。
でも、集団で生活している避難所よりかは休めると言っていました。
皆さんは明るく私達に話しかけてくれていました。きっと心中は不安で一杯なのに‥‥。
「これから寒くなるので、体を大事にしてください。」と伝え、私達は帰ることにしました。
帰りの道中、スムージーを美味しそうに飲んでくださった皆さんの顔が浮かんできました。
皆さんの笑顔を思い出せば出すほど、複雑な思いになり、私も嫁さんも話しながら涙が止まりませんでした。
私たちが行ったからといって皆さんの生活はよくなりません。
私に出来ることはただただ祈ることぐらいしか出来ないと思いました。
一刻も早く災害に遭われた皆さんが笑顔で生活できるようになればいいなと思います。
永井さん達の復興災害ボランティア活動も、SNSで呼びかけて資金を集めているようです。
資金がなくなり次第活動が終わってしまうようです。まだまだ復興までは当分かかると思います。
私も自分に出来ることを考えて今後も協力していこうと思います。
来年は4号車で輪島に行こうと考えています。
今日はいつもよりも増して長文になってしまいました。
こうしている間にも大変な思いをしている人たちがいます。
優しい世の中にしていくにもこういった活動を続けて行こうと思います。
また、私達がこうして災害の現地に行けたのも、会社で苺たちの面倒を見てくれている
両親や、社員さんやパートさんがいるからです。
皆の協力があっての今回の炊き出しのボランティア活動への参加が出来ました。
互いに支えたり支えられたりしながら、生きていくのが本来の人間の生き方のように感じました。
色んなことを考えさせられた旅でした。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
富丘佐野農園株式会社 佐野真史