2022.01.20
始めまして。
れっどぱーるの代表の佐野真史と申します。
これから私の日々の出来事や、苺の様子などをブログ記事として載せさせていただきます。
まずは私の自己紹介をします。何回かに分けてブログの記事にさせていただきます。
私は昭和50年に富士宮市青木133に生まれ年は46歳です。
代々の農家に生まれ、地元の小・中学校を入学・卒業し、
高校は普通高校の富士宮西高校を入学・卒業し、
磐田にある農林短期大学校(現 農林大学校)を入学・卒業して、就農しました。
小学校2年生に、友達の誘いもあって剣道を始めました。
剣道は私に合っていたらしく、4年生の頃富士宮市で優勝し、
そこから剣道づけの日々が始まっていきました。
どの試合でも優勝すると両親や祖父母が喜んでくれ、
剣道で頑張る事が親孝行だと思って練習に励みました。
当時、農家で忙しく家族旅行などいけるはずもない状態でしたが、
母は、私が県外の試合に出たりすると応援に来てくれて、
そんな母を見て私は「自分が頑張ればお母さんを旅行に連れていく事が出来るんだ」と思って、
ちょっと違う目標で、剣道を頑張りました。
中学の中体連では個人・団体ともに静岡県チャンピオンになり、
高校時代にはインターハイは逃したものの、静岡県選手として国体に出場しました。
華やかな剣道生活はここまでで、高校の国体が終わると目標を達成した感覚になってしまい、
大学進学を考えたときにはもう手遅れで、その時に自分の人生の方向を少し考え始めるようになり、
農業を意識し東京農大を受験しましたが、不合格でした。
勉強が嫌いでまだ働きたくない私は、必死で入学できそうな学校を探しました。
その時見つけたのが農林短期大学校(現 農林大学校)でした。
普通高校からはあまり進学している人はいませんでしたが、
行く所もなく(入れるならどこでもいいや)と思ってあやふやな気持ちのまま進学しました。
入学してみると夢に描いていた大学生活とはまるでかけ離れ、
高校の同級生と、今の自分の生活とのギャップに悩み、毎日辞めることばかり考えていました。
先生を困らせ、授業を平気でさぼり、暑ければ海に泳ぎに行ったり、
夜になれば酒を飲み、寮の点呼の時間はアルバイトで常に呼び出され、
今考えると沢山の方々に迷惑をかけた2年間でした。
今思うと何であの時もっと勉強しておかなかったのかな。
と思いますが、自分でも解らないほど反発の時期でした。
そんな短大時代に私のターニングポイントがありました。
次回に続きます。