2022.02.03
本日2月3日は、節分ですね。
暦の上では春ですね。私は、朝6時に散歩に出かけるのですが、
明るくなるのが早くなってきたように思います。
夕方は、皆さんもわかると思いますが、だいぶ日が長くなってきましたね。
ハウスの中では、二番果の大玉が赤くなり始めています。
この時期は、日も短く、温度も低く、一番果を実らせた苺たちにとっては、
とてもしんどい時期です。早く春の日差しになり、苺たちに
沢山の光を届けていただきたいです。
「就農そして決断」
短大を卒業した私は、すぐに就農したのですが、チャイムがあるわけでもなく、他の従業員さんも
いる訳でもなかったので、ぬくぬくとやりたいようにやっていました。
でも規模拡大して売り上げを上げていこうと思っていたので、
就農した21歳の年に15aのハウスを建てました。と言えば格好良いのですが、立てて頂きました。
全部で40aの栽培面積になりました。
当時は祖父の代から農協に属していたので、何の違和感もなく沢山の苺を生産して農協に納めていました。
単純に生産量を増やすといっても簡単ではありませんでした。
と思っていたのですが、考えていた以上に仕事量が増えて
思うような栽培をするのが難しかったです。1年1年失敗したり上手くいったりを繰り返して行きました。
研修で習ったように仕事も一生懸命、夜も一生懸命に楽しみました。
剣道漬けだったので、社会人になったら違うスポーツをしたいと思い、始めたのがバドミントンです。
バドミントンは剣道と違って笑ってプレーすることが出来て爽やかで仕事のストレス発散には最適でした。
そのバドミントンで今の最高のパートナー今の奥さんと知り合う事が出来ました。
その後26歳の時結婚して、子供を授かるたびに
規模拡大と苺の生産システムの導入などを行っていきました。この頃は45aの栽培面積になり富士宮農協では、
大口農家になりました。
経営の方では、30歳の頃税務署さんからお尋ねがありまして、見事に税金の申告漏れを指摘されました。
当時父親が青色申告をしていたのですが、経理から手を引きたいと言い始め、私が経理をする事になりました。
その頃から少しづつ世の中の流れが変わっていきました。
それまでは、数量を出せばそれなりに儲かっていたのですが、段々と出しても出してもお金が残らなくなっていったのです。
忙しいはずなのに、儲からない。何で? 考えだしました。
忙しい=儲かってる が成り立たなくなってる。
嫁さんが三人目を身ごもった時です。事件が起きます。仕事をやってもやっても儲からない農業に
嫁さんが嫌気をさしたのです。
結婚してから一緒に農業をしてきたのですが、
休みもなく、忙しいだけの現状が嫌になり、もと働いていた会社に戻ると言い出したのです。
「どんだけ残業しても給料は上がらない。」
「2人の子供と遊ぶ事も出来ない。」
「もうこんな生活は嫌だ。農業は貴方1人でやればいい。」
「自分が会社に行って子供をそだてる」
ド直球に今の生活の悪い所を指摘されました。
私は幼少期の事もあり家族を大事にしていたのですが、
(このままでは大事な家族がバラバラになってしまう。)
正直、私も両親も皆、現状に心身共に限界が来ていました。
働けど働けど裕福にはならず、体の疲れとイライラとお金が入ってこない事で、
良く家族で言い合い(喧嘩)が絶えませんでした。
変えなければ大事な家族がバラバラになってしまう。
儲けるにはどうすればいいんだ?
2つに1つ。
またもや決断の時です。