Blogしゃちょうのブログ

4号車がれっどぱーるに来た!!

2025.04.16

このこのブログは日々のれっどぱーるのハウスでの作業や、イベントの様子や、
私の感じたことや、経営について勉強したことなどを毎週木曜日に
アップしています。これからもよろしくお願いします。

皆様からの暖かいコメントもお待ちしてます。

2025.4.17

桜の花も散り始め、次は桜の葉の緑が鮮やかになってきました。
苺などは葉っぱが増えてから花が咲いてくるのですが、
桜は何もない木の枝から花の芽がむくむくと膨らみ、先に花が咲きます。
私は農作物ばかりを見ているので、先に花が咲くという事に大変違和感を
感じてしまいますが、それでも満開の桜は綺麗ですね。
1年に1度しか見ることの出来ない桜です。
あと何回見ることが出来るのでしょうか?
若い時には桜の花を見てこのようなことを考えもしませんでしたが、
ある程度の年を重ね、ゴールがうっすらと見えてきたからこのようなことを
考えるようになったのかもしれません。
歳を重ねることで、物事の考え方や見方も変わっていくのでしょうね。
1日1日を楽しみ充実させながら、これからの日々を味わっていきたいです。

 

今回のブログは色んな行事があり、記事が盛りだくさんと言うよりも、
写真をふんだんに載せました。写真とともに、
今週のブログをお楽しみください。

4号車がれっどぱーるに来た

先週、4月9日と10日にかけて4号車を石川県まで迎えに行ってきました。
青空が綺麗に広がり、富士山の輪郭もくっきりと青空に生え、新たな出発にはちょうどよい日でした。


9日の12時40分東京発の新幹線で東京駅に向かい
その後北陸新幹線に乗り換えて金沢駅を目指しました。

茜店長と二人で石川県に向かったのですが、
2人で新幹線に乗るのも久しぶりと言うか、
数回しか乗ったことがありません。普段は車移動なので、
今回、久しぶりの新幹線移動にワクワクしているところがありました。
新幹線と言ったら駅弁です。

店長が私に牛すき弁当を買ってきてくれました。

店長は地元富士宮のまき狩り弁当を買い、新幹線の中でいろんな話をしながら
ゆっくり新幹線ランチを楽しみました。
こうした二人っきりの時間も良いものだと思いました。
子供たちとの思い出を話したり、これからの会社のことなど、
お互いの考えを話すことが出来、良い時間になりました。

13時48分に東京駅に着き、北陸新幹線乗り場に移動し、
「はくたか567号 敦賀行」に乗車しました。
東京駅では海外の方が多く、沢山の外国の方が日本に訪れていることを
肌で感じました。
これからの日本は、観光での経済発展も考えていくべきなのだと思いました。
またこのチャンスに、れっどぱーるでもメニュー表記を外国語表記にしたりして
富士宮に来る海外の方に来店していただくように準備していこうと店長と話をしました。

東京駅から約3時間で金沢駅に到着しました。
そこから野々市駅まで移動し、少し待つとゼックの永井さんが迎えに来てくれました。

雪はなかったですが、風は富士宮よりも冷たかったです。
ここで、4号車と初対面しました。
思っていた通りの出来栄えで、夢にまで見た4号車の完成車に感動しました。

夜は楽しみにしていた交流会?です。
まー!とにかく石川のお魚が美味しいのなんの。
やはり、日本海の魚と太平洋の魚は同じ魚でも違うものですね。
歯ごたえが違います。
石川に来る楽しみの1つにこの永井さんとの食事も含まれています。
今回も美味しいお魚料理をいただきました。
次の日には、富士宮まで新車の4号車で帰らなければいけないという事で、
食べて飲んで、早めにホテルへと戻りました。

次の日、
永井さんとお世話になったゼックさんに別れを告げていざ富士宮へです。

曇り空でしたが、桜が満開の兼六園に寄って、帰ることにしました。
兼六園の駐車場を探しているときも、
海外の方が多く、日本人よりも旅行客の方が圧倒的に多かったです。

ちょうど桜が満開で見事でした。

満開の桜を見たところで、帰ることにしました。帰るころには雨が降ってきて
ちょうど良い時に桜を見ることが出来ました。
さてここから約450キロ。富士宮を目指しました。

やはり、バンと言っても新車です。乗り心地も良く、快調に走ります。
幾度と分岐を間違えながら、なぜかUターンを何回か繰り返し、
日本海から太平洋を目指しました。
途中岐阜飛騨辺りではまだまだ雪が残っていて、
窓を開けると冬の風が車内に飛び込んできました。
さっきまで満開の桜を見てきただけに、同じ日本でも違うものだと勉強になりました。

それとともに、私達が育てている苺もお客様から頼まれて、石川県や、富山県に
発送しますが、この道をトラックのドライバーさんが運転して
荷物を運んでくれるお陰だと思いました。
今では苺を送れば次の日に着くのは当たり前の時代になりましたが、
こういった方々の力が大きいと思いました。
苺や、荷物が次の日に着くのが当たり前ではなく、次の日に届けていただいているという
感謝の気持ちを持つべきだと思いました。

交代しながらと言っても450キロは長かったです。
家に着いたのは21時頃で、とても長い2日間でしたが、無事に4号車を
連れてきました。
会社について一番にしてみたかったのがこれです。

1号車との比較です。
4号車の方が一回り大きいです。
今までれっどぱーるの看板として頑張ってきてくれた
1号車が小さく見えましたが、思いではたくさん詰まっています。
車は世代交代するかもしれませんが、私達はまだまだ現役で頑張るつもりです。
この4号車とどんな思い出を作れるか今から楽しみです。

今回の4号車の引き取りで、新たなスタートを感じました。
私自身も50歳の節目です。
この節目に4号車の誕生は何かの意味があるのかもしれません。
人生を楽しんでいこうと思います。

桜満開の兼六園でいつまでも夫婦仲良く居られるようにと夫婦箸を
買ってきました。

こちらの箸ですが、輪島塗の箸で、
やっと輪島でも輪島塗の商品が作られるようになってきたようです。
「輪島の復興を兼ねていかがですか」と言われ、購入させていただきました。
今年の秋には4号車で再び輪島を訪れる予定でいます。
ようやっと復興が進んできたようです。
自分の出来る範囲で、世の中の人の役に立つことをしていこうと思いました。

 

 

 

私が参加している経営塾でブログを1週間書く当番の時があるのですが、
その時に書いたものをアップさせていただきます。
人生の後半戦に突入するにあたって、
人生とは何か?自分とは何か?仕事とは何か?幸せとは何か?
などを真剣に考えるようになりました。
農家のおっちゃんが、今まで色んなことを経験して、見えてきたものを
書いています。良かったら読んでみてください。

 

「弔問」

今年に入ってから、知り合いの方が亡くなる訃報が多いです。
お店も今年で17周年を迎えました。お店を立ち上げたときから来てくれていたお客さんも私達と共に年を重ねています。毎年苺を買いに来てくれていたお客様がしばらく来ないと思ったら、亡くなってしまったことをご家族の方から教えていただくこともあります。

そんな話を聞くと、苺を買いに来てくれた時の様子などを思い出し、胸が苦しくなります。

長く商売をすればするほどお客様との別れも多くなってきます。とても寂しいですが、これも事実です。

商売の「いろは」もわからず始めた若造たちを暖かく見守って応援していてくれていたのだと思うと、1人1人のお客様をもっともっと大事にしていかなければと思うこの頃です。

先日、私がお世話になっている先輩のお母様が亡くなり、お通夜の弔問に行ってきました。
その先輩は、私が農協共販から抜けたとき、今でもお付き合いのある仲卸業者さんを紹介してくれた恩人で、何かあるたびに、「困っていることは無いか」と、何かと気にかけてくれる先輩でした。
この先輩は、父親を中学校の頃に亡くし、母親が女手一つで農業をしながら高校を卒業させてくれたようでした。

以前、先輩と食事をしたときも「俺はお袋に苦労を掛けたから楽をさせてあげたい」と言っていましたが、お袋さんは亡くなる直前まで、畑仕事をしていたようでした。

そんなお袋さんでしたが、ちょっとしたことで、体調を崩し、検査で入院したところ病院で肺炎になってしまい、あっという間に亡くなってしまったそうでした。

今ではお通夜や、お葬式のやり方も変わり、家族葬という事で通夜の弔問のみ伺うことにしました。
弔問に伺うと、会館の前で先輩のお姉さんが立たれていて、お姉さんに挨拶をし、少しお母様の話を聞きました。
お母様は生前、先輩のことをとても心配して、「私がいなくなったら、あの子(先輩)が大変になるから、私が頑張るんだ。あの子のため、あの子のため。」と言っては頑張っていたんだよ。と教えてくれました。

その言葉を聞いたときに、自分の母親の姿が思い浮かんできました。

私の母親も先輩のお母様と同じように、仕事を一生懸命に頑張り、今でも現役で手伝ってくれています。
「あんたが少しでも楽になればと思って、やれることは何でもやるから言ってよ。」
と言ってくれます。
そんな言葉を掛けてもらえると嬉しいのですが、素直に「ありがとう」を言わない自分がいます。
自分の親はいつまでも元気でいるような気がしてしまい、わがままな自分が顔を出し、きつく当たってしまう時もあります。
自分でも何故だかわかりません。言葉では言いにくいので、1か月に1枚以上は、母親にはがきを書いています。またそのはがきを母親も楽しみにしてくれています。
膝が痛くてちんばを引きながらでも歩いて頑張っている母親の姿を思いだしました。
会館に入り、先輩に挨拶をしましたが、先輩は目を真っ赤にし、「ありがとな」の一言と、その後に「お袋さんを大事にしろよ」と声をかけていただきました。

先輩の姿を見て(いつか自分も母親を送る時がくるのだな)と思い、まだ知ることの無い親との別れを想像しただけで、涙が出てきました。

ここまで育ててもらってきたのに、まだまだ心配をかけています。

出来の悪い息子でも見放さず応援してくれています。
今はまだ母親は元気なので、生きているうちに沢山の「ありがとう」と感謝の言葉を伝えていこうと思いました。いつか来る親との別れの時に後悔の無いように、親孝行をしていこうと思いました。
幾つになっても親は親、子供は子供のままですね。
先輩のお母様の弔問で大事なことを学ばせていただきました。

素直に「ありがとう」と言う自分を作っていきます。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
富丘佐野農園株式会社  佐野真史

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