Blogしゃちょうのブログ

2025年度のスタート!!

2025.04.02

このこのブログは日々のれっどぱーるのハウスでの作業や、イベントの様子や、
私の感じたことや、経営について勉強したことなどを毎週木曜日に
アップしています。これからもよろしくお願いします。

皆様からの暖かいコメントもお待ちしてます。

2025.4.3

 

新生活とお祝い!!

皆さんのお住いの地域の桜も見ごろを迎えていますでしょうか?
れっどぱーるの近くの潤井川の河川敷の桜はほぼ満開を迎えています。

ゆっくり花見でもしたいところですが、
急に冷え込み、花見どころではなくなってしまいました。
今週末当たりが、花見のお客様で、賑やかになりそうです。

 

新たなスタート!!

4月1日と言えば新年度の初まりです。
この新年度のスタートにおめでたいことが2つありました。
先ず一つ目は、我が社で部長として頑張ってきてくれた佐野部長が勤続10年を
迎えたことと、2つ目は、以前から夜間高校に行きながらアルバイトをしていた鈴木君が
改めてれっどぱーるに入社することになりました。

新たな節目として4月1日に
佐野部長の10年間の勤続のお礼と、鈴木君の入社式を行いました。
先に佐野部長に10年間ご苦労様の感謝状と記念品とお花を
贈りました。

一言で10年と言っても色んなことがありましたが、
改めて思い出すと、今となっては良い思い出となっています。
10年と言いますと、私もまだ40歳でした。
まだまだ自己中心的で、我がままでした。そんな私に良くついてきてくれたと思っています。
佐野部長は苺の栽培から、移動販売車での販売、苺摘みの段取り、苺摘みの予約管理など、
れっどぱーるの事業の要となっています。
今では苺の栽培も身に付けてまさしく私の右腕的な存在の方です。
あっという間の10年だったように思いますが、仲間がいてくれたからここまで
これたのだと思います。
ありがとうございました。
そしてこれからもよろしくお願いします。

次に、鈴木君の入社式に移りました。
鈴木君は、学生バイトとしてお手伝いをしてくれていたのですが、
苺に携わるようになってから、自分でも苺を育ててみたいと
苗を持っていき、お家で苺を育て始めました。
今まで、作物を育てるという事はしてこなかったようですが、
れっどぱーるに来て苗を育てているうちに、
自分でもやってみたいと興味が湧いたようでした。
そこから、苺についてもっとたくさんの事を知りたいし、
学びたいという事で我が社に入社することになりました。

社会人としてもまだまだ未熟なので、
私が経験してきたことを伝えながら、ちょっとづつ成長していってもらいたいと
思います。

ツナ子さんからもお祝いのプレゼントを渡されました。
彼がこれからどのように成長していくのか、未知の部分はありますが、
社会人として、人として大事なことを伝えていこうと思います。
彼に伝えていることは「謙虚さ」、「素直さ」、「ひたむきさ」
を大事にし、とにかく1日1日を、一生懸命に生きなさいと伝えています。
一生懸命な人の姿は人の心を打つものだと思います。
自分の持っている力を存分に発揮して一生懸命に苺つくりに
取り組んでもらいたいと思います。
鈴木君の成長を祈っています。

4月から心を新たにし、笑顔いっぱいのれっどぱーるランドを
目指し、頑張っていきます。

 

 

4号車完成

いよいよ4号車が完成いたしました。
石川県のゼックさんから仕上がった様子を写真で送っていただきました。
初お目見えです。
出来栄えはどうでしょうか?

前から

販売面

助手席側

後ろ

いよいよ完成です!

思った通りの出来栄えです。
この車で色んなところへ行けると思うと今からワクワクしてきます。
この4号車なのですが、今回は石川県まで取りに行くことにしました。
きっとこの車が私の人生の中で最期の移動販売車になると思っています。
その記念に、ゼックの永井さんに御挨拶を兼ねて引き取りに行ってきます。

引き取り日は4月9日、10日で行ってきます。
どんな乗り心地かも楽しみなところです。
早く皆さんにお披露目したいです。
乞うご期待を!!

 

 

「50歳の節目」

私は今年の5月の誕生日で50歳を迎えます。自分が50歳になるという事に未だにピンと来ていません。ふと、思い出してみたことがあります。
それは、父親が50歳の時に私は何をしていたかという事です。
父親は今年77歳になります。ちなみに母親は、75歳になります。

そう考えると父親の年齢が50歳の時は今から27年前になり、私は23歳だったことになります。

私は20歳で農林短期大学校を卒業して、就農したので、実家に戻り農業を始めてから3年経過した頃という事になります。

ちなみに、今現在の自分の長男は21歳です。

自分が年を取ることで、当時の父親の立場や、思いや、してきたことを比較するようになり、父親の苦労や、心配ごとなどが少ずつ解るようになってきました。
私の家は貧乏で、お金が無いと思っていたのですが、父親は私が20歳の時(父親は47歳)の時に自宅を新築に建て替えてくれました。旧家はお風呂の水道からはお湯が出ず、よく言う五右衛門風呂だったし(お湯は薪で温めてました)、台所は土間で食事の時には父親も母親も地下足袋でご飯を食べるような家でした。トイレも家の中にはなく、台風の時でも用を足したくなったら、靴を履いて外のトイレまで行かなければなりませんでした。私はそんな旧家が嫌いと言うか、コンプレックスにもなっていました。

そんな旧家を取り壊して、新築の家を建ててくれたのですが、20歳の頃の私は、やっと新しい家を建ててくれた。これで、人並みの生活ができると思ったくらいで、家を建てる苦労や、お金をどのようにして工面したのかなど全然気にしていませんでした。

改めて今考えてみると、今の自分に家を壊して建て替える気力や、力があるのかと自問したのですが、とてもする気になりませんし、後から聞いた話ですが、何千万もする今の家を現金で払ったと聞いたときにはびっくりしました。

今経営塾などで色んなことを学ばせていただいて解ることなのですが、両親は私たちを育てながら贅沢をせずに、最小限のお金で生活をし、一生懸命育てた農産物を売ったお金をコツコツと貯めて、ローンを組むことなく現金で今の家を建ててくれたのだと思いました。

そうしてくれたおかげで私には家のローンがありません。父も母も、当時は貧乏で、ひもじい思いもしたと思いますが、将来的に私が楽になるようにとしてくれたのだと解かるようになりました。

それに比べて、23歳の頃の私と言ったら、まさにクズの王道を歩いていました。就農したと言っても、心の中は(就農してやった。農業を継いでやっている。)そんな傲慢極まりない考えでした。
そんな傲慢な自分がすることと言ったら、友達は週休2日だから、自分も週休2日にすると言って、皆が仕事をしていても自分は休んでいましたし、17時には皆が仕事をしていても自分はさっさと家に帰りシャワーを浴びて、友達と酒場に向かい夜中まで酒を飲み、次の朝は寝坊をし、思い返すだけでも目をふさぎたくなるようなクズ人間でした。

 

仕事の事でも、たいして仕事をするわけでもないくせに父親に口答えをし、仕事を抜け出したり、暴言を吐いたりしていました。
そんな時でも父親は何も言わず、バカ息子のやることに「グッ」と我慢していたのだと思います。
自分が当時の父親の年になり、もし、今の長男に同じことをされたらと思うと、どれだけ父親や母親に迷惑をかけてきたかが解りました。申し訳ないの一言です。

歳を重ねることで初めて解る親心。自分のしてきたことは消したくても消えません。

親にはたくさんの事をしていただいていたのにも関わらず、その行為を裏切り、自分のしたい事だけをしてきました。この申し訳ない気持ちは、一生忘れずに生きていかなければいけないものだと思います。

私は若いころから沢山の人に迷惑をかけて生きてきた本物のクズです。

両親や、家族、私に関わってくれた方々に懺悔をする意味でも人の役に立つ行動をし、自分が鈍刀だという事を忘れずに、ひたむきに磨いていかなければいけないと思う様になりました。
このような考えになったのも、至らないながらも会社の経営者になり、思い通りにいかない現実の壁にぶつかりながら迷ったり、悩んだりしているときに、杉井さんや良き仲間と出会い、自分の出来の悪さを痛いほど知り、学ばせていただいたからだと思っています。
50歳の節目に、再び若かった頃のクズな自分のことを思い出せてよかったです。
これから両親には謙虚で素直に「ありがとう」を伝えていきます。

これ以上大事な人たちに嫌な思いをさせたくありません。そのためにも学び、自分を変えていきます。
大切なものを明確にし、恥じない生き方をしていきたいです。

 

今日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
富丘佐野農園株式会社  代表取締役社長 佐野真史

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